便所

こちらは女子トイレの一室です。

ハズレくじとして生きていく

「人としてダメ」

あなたは人生の中で言われたことがあるだろうか?

私は二回、高校の時赤点を取り適当に書いた反省文を提出した時と今日アルバイト先で店長に仕事を教えてくれた人に対しての態度が悪いとの理由で「人としてダメ」と言われた。

まったくもってその通りである。

これまでまともに人間関係を築けずキャンプも修学旅行も人数が足りない班に仕方なく迎え入れられ体育の球技ではバスケだけボールがまわってくる(だれも自分をマークしないため)ような人間は人ではないのだ。

今日も今日とて仕事を教えてくれた先輩に横柄な態度をとった挙句自分の仕事はあまり出来てないが故に店長をイラつかせ私に大人として優しく説教をしてくれた。

なんてまともなんだと思った。

あの空間の中でまともじゃない人間は私だけだった。

もっとひどい言葉と口調で罵られてもおかしくなかったんだろう。

私が横柄な態度をとってしまった先輩は私に仕返しや悪口を言うわけでもなく「気にしないで」「きついこと言われたでしょ」「大丈夫?」としきりに私を励ましてくれた。

えぐられた古傷に塩を擦り込むような優しさだった。

私は【この歳になるまでに取っておかねばなならない人としての最低単位】みたいなものを大量に取りこぼしてる気がする。

人間向いてないのだ。

だから人としてうんぬんかんぬんは私にはまだはやい説教というかそれ以前に私はまだ人にはなれてないのだ。

なぜなら私には怒られた理由がさっぱり分からないしだから改善できないのだから。

私は人の気持ちがわからないし仕事もすぐに間違える。

発達障害なのだろうか?人との関わりについてたくさん反省して本を読み知識もつけ努力はしてるのだがいざ本物の人間関係になると付け焼き刃の努力じゃ役に立たずいつも嫌われてしまう。

アドリブ力が圧倒的に足りない。

台本に書かれていないことはできないのだ。

そして人生に台本はない。

どういったセリフが正解でどのように行動すれば上手くいくなんてこと誰にもわからないし私は特に理解できない。

最近障害者手帳のことばかり検索している。

自立支援なんちゃらの国の制度を使うとき私の精神科の主治医は診断書を作ってくれたしまた貰えないだろうか。

私をただ弱くてしょうもなくて情けない人間なんじゃじゃなくて障害のため仕方なく弱い人間なんだと誰かに証明して欲しい。

私は弱い人間なんだと公に認められたい。

私はどこに行ってもハズレくじ扱いされて生きていかなければならない。

ずっとハズレくじ役をやるには人生が長すぎる。

そしてハズレくじと付き合っていかなければならない人は私が生きれば生きるほど増えていってしまう。

困ったことだ。

だが私は死ぬ事が出来ない。

世のため人のために死んでやりたい気持ちは山々なのだが産んでくれた親が私には勿体なさすぎるくらいいい人でありかつ私を愛してるからだ。

一体何故だろう。

もう何十年と私と暮らしてきてもうこんな出来の悪い子供はいらないと思わないのだろうか。

なぜ私を育て励まし愛してくれるのだろう。

申し訳ない。本当に申し訳ない。

あなたのもとにうまれてきたのが私で本当にごめんなさい。

こんな出来の悪くてクズな私を愛さざる負えないだなんて不幸すぎる。

ごめんなさい申し訳ない死んで詫びたい死んだら悲しむ死ねない生まれなかったらよかったといった一連の感情をずっとループしてる。

私は友人や恋人は長続きせずどこのコミュニティでも排斥されてきたので親への依存度が高すぎる。

明日いきなり母親が死ねば私も後追い自殺を迷わずするだろう。

人はいずれ死ぬ。

そして大方親の方が先に死ぬ。

私はいつか親が死ぬということが受け入れられない。

親は今もピンピンしていて会おうと思えばすぐ会えるのにちょっと離れるだけでさみしさで涙が出てくる。

お母さん死なないでと最近よく泣いている。

これでは生まれたての赤子と変わらないではないか。

これだけ生きながらえてなお精神年齢は新生児なのかもしれない。

死にたい死ねない誰か殺してくれ生まれてこなきゃよかったのループはいつか断ち切れる日が来るのだろうか